栃尾産地とともに歩み、
山信らしい山信にしかできない
モノづくりにこだわり続ける。
山信らしい山信にしかできない
モノづくりにこだわり続ける。
明天3年1783年の大飢饉より疲弊した村落経済を立て直す為、植村覚左衛門は栃尾縞紬の創始者大崎オヨから技術を学び農村家内工業が始まる。その後、縞紬生産は栃尾地域一帯に普及し日本全国各地に出荷、栃尾地域を代表する産業となった。
守門岳の雪解け水から産まれる豊富な水量が流れ込む刈谷田川、西谷川2本の河川が栃尾特有の盆地にテキスタイルを製造するのに最適な湿度をもたらし環境を与えてくれる。
山信織物はその技術を継承し更に発展させ栃尾地域の地の利を活かし高度な技術が求められる日本のファンション産業にメイドインジャパンと胸を張って提供できるテキスタイルを提案、製造している。